ホームへ戻る
この論文は、団内機関誌「ぶろういんぐ」第5号(1991年9月発行)に掲載されたPreview版 に引き続いて、第10回定期演奏会(1992年3月)のプログラムに掲載したものです。

八幡ブローイングオーケストラにおける自動車による楽器輸送の歴史的変遷と その過程において考案された技法についての考察

八幡ブローイング大学 楽器運搬学部 助教授
舞朗院 太郎

序章 論文の展開について

 この論文は、一般の方々への楽器運搬学の普及をその主眼とし、技術論よりも歴史的経緯に重 点を置くことを意図しているため、詳細な学術論文を志向される方々には、団内機関誌「かわら 版ぶろういんぐ」の参照をすすめる。

第1章“ワゴン”*1依存期

 初期においては輸送に使用される車は、顧問の先生の私有のワゴンのみであり、運転免許も顧問の先生 の他1名しか保有しておらず、楽器の運搬は困難をきわめた。またこの頃は車の限られたスペー スに効率よく楽器を積む技術も確立されておらず、ピストン輸送を中心とした原始的な手法に頼 るしかなかった。これは、顧問の先生の熱意によって支えられた時代だといえるだろう。いかなる 科学の分野においても、偉大な先覚者によって道が開かれるということは共通のようである。

第2章 技法開発期

 その後、免許を取得する団員も増え、楽器の積みおろしをするための要員(男子高校生を中心 に“兵隊”と呼ばれた。もちろん運転はできない。)の乗用車による随行が可能となり、人海戦 術により輸送のスピードアップが図られたが、主力は依然ワゴンのみであり、その効果はわずか であつた。ここでピストン輸送に疲労を感じ始めた“兵隊”たちにより、“より少ない往復でよ り多くの楽器を運ぶ”技法の開発が行われるようになる。これが「第一次楽器運搬革命」の始ま りである。彼らは驚異的な数の楽器を効率よくワゴンに積み、そればかりか団員が私有する乗用 車にまで楽器を積むに至った。ぞの驚くべき一例を紹介しよう。助手席のシートを倒したところ にティンパニやコントラバスを積んでしまったのである。ところが、ワゴンはただでさえ遠隔地 在住団員の送迎という使命を受けて酷使されてきただけに]りにも強引な効率化は、大き な弊害をもたらした。より多くの楽器を積もうとするあまり、ワゴンの内装を次第に破壊してい ったのである。このワゴンは現在では車好きの団員の所有に変わったが、その後遺症が今でも残 っている。いかなる科学の分野においても、急激な技術の進歩が多くの弊害をもたらすことは共 通のようである。

第3章“ハイエース”*2導入期

 こうした反省によって効率よりも楽器と車の安全を第一に考えるようになり、ある程度の効率 は維持しつつ、効率化の技法開発は落ち着きをみた。しかし、その後新たなる革命が起こる。「 第二次楽器運搬革命」である。新しい団員の私有するワゴン車“ハイエース”の買い替えに伴い、 この中古のハイエースが団に譲渡されたのである。このハイエースの持つ意義は大きく でのワゴン車は顧問の先生の私有車であり普段は通勤に使っておられたため、練習終了後には楽器 の保管場所に楽器を降ろす必要があったが、ハイエースは楽器運搬専用であるために、練習終了 後に楽器を降ろす必要がなく、こうして楽器輸送の主力は“動く倉庫”ハイエースヘと移ってい った。いかなる科学の分野においても新しい機材の登場と共に予想もできないほどの大きな進歩 があるということは共通のようである。

終章 現在、そして未来へ

 このような変遷を経て、現在は主力輸送車“ハイエース”の他に、かつての主力輸送車“ワゴ ン”、そして団員の私有している軽ワンボックスカー、軽トラック、数々の乗用車といった壮大 な陣容を備えるに至り、かつてのように楽器運搬に頭を悩ますことも少なくなった。しかし、こ れまでの酷使がたたり主力輸送車には特殊能力が備わってしまった。ハイエースはエンジンやバ ッテリーの機嫌が悪いと、前の所有者の某氏の説得しか聞き入れず、彼がやさしく語りかけるこ とによってのみ動き始める、という個人認識能力を備えている。また、ワゴンはディーゼルエン ジンを前述のように酷使したため、後続車の追尾から逃れるための煙幕噴射能力を備えるに至っ た。こうして一癖も二癖もある車と共に八幡ブローイングオーケストラは活動を続けてきた。ま たこれからも続けていくのである。この車たちも団の大切な仲間なのである。

 調査によると、18才以上の男子団員の95%が、自動車に対して強い関心を持っており、そ の知識も豊富であるという若者らしい結果が出ている。
 このことは、より多くの楽器をより早く積む技術と、自動車を楽器置場とする当団が、「楽器 運びも立派な活動」というこだわりをもち、「楽器運びも日本一うまい楽団」を目指している裏 付けともなっている。
 この論文は、第10回の演奏会を記念して、過去に輸送隊長を努めた団員によって書かれたも のである。

*1 1984年製 日 産 バネットラルゴ  走行距離    132,000km
   つい最近、解体屋から後部ハッチドアを購入し、団員の力で修理した。

*2 1982年製 トヨタ ハイエース    走行距離    126,922km
   「バッテリーあがり」の時は、みんなで押しまくり。

ホームへ戻る