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この論文は、第11回定期演奏会(1993年3月)のプログラムに掲載されたものです。

日本におけるオフィス環境の歴史的変遷についての考察 Histohcal Transition about Environment in Japanese Office

八幡ブローイング大学附属経済研究所 人間工学講座

舞朗院次郎*
牌詠酢**

T.導入(Introduction)

太平洋戦争によってガレキと化した日本を立て直すためにサラリーマンも、戦後、がむしゃらに働いてきたが、 オフィスでは能率、快適さ、ともに犠牲にされてきた。しかし、近年、仕事は能率的かつ快適にこなすものという 認識がひろまり、様々な試みがなされ、人間工学に基づいた快適なオフィス環境が研究されるようになり、サラリ ーマンに限らず、ヒトは改めて自分の周りを見回し始めた。
 文化活動についても、同様のアナロジー(類似)が成 立するようである。ブローイングにおいても、結成当初は定期的な話し合いはなく目前に迫った問題を逐次解決し ていくだけで精一杯であったが、ここ数年は「ミーティング」と称して定期的に話し含いを持てるようになった。 そして、年月を経るに従い、ミーティングの会場も移り変わってきた。ここでは、ミーティングの会場の変遷を中 心に論じてみたいと思う。

U.黎明期(the Dawn)

 ブローイングの結成時は団員のほとんどが高校生で、ミーテイングの会場を借りる財カも、話し合いによって問 題を解決する知恵も乏しかった。そのような、ないないづくしの時代を支えてくださったのは、やはり顧問の先生 であった。何か困ったことがあると、おおらかな独特の口調で「おお、ええから、うちへこい」と、おっしゃって 先生のお宅でミーティングをさせていただき、場所も、知恵も、そして時には解決方法さえも貸していただいた。 この時期は先生はもちろん、先生のご家族にも多大なるご迷惑をおかけした。当時、八幡ブローイングオーケスト ラとは傍迷惑な高校生の集団でしかなかった。

V.放浪期(the Wandering)

 高校生だった団員が進学、就職して、大学生、社会人となり始めたときに、ブローイング史上第一の転換期を迎 える。「この先も一般バンドとしてやっていくためには、いつまでも顧問の先生に『おんぶにだっこ』ではいけない」 という意識が高まり、相変わらず困ったときは顧問の先生に相談するしかなかったが、ミーティングの場所だけは 自分たちで探し始めた。そして、高校を出たての傍迷惑な集団に目をつけられたのはファミリーレストラン、並び に喫茶店であった。練習の後、ミーティングをする前に食事をしたいという必然性もあり、多人数が一つのテーブ ルにつけ、また、店によってはコーヒーのおかわりができるので、これはなかなかの名案であった。しかし、ミー ティングを始めるまでが大変で、ニコニコしながらチョコレートパフェを食べている大男が何人もいたり、ある金 管パートのメンバーは、やたらと水のおかわりを欲しがって、挙旬の果てに水さしごとテーブルに置いて行くこと を要求したり、なかなかに難儀な連中であった。この、あちこちの飲食店を転々としてミーティングをしていた時 の楽しさが忘れられず、理在でもファミリーレストランに食事を取りに行くことが多いようである。ファミリーレ ストランで異様な雰囲気の集団を発見したら、それはブローイングのメンバーである可能性も大きい。しかし、そ の検証は読者におまかせし、ここでは省略する。

W.定住期(the Settling)

 第二の転換期は自らの意識の内からでなく、外からもたらされた。知多市勤労文化会館の開館である。この新し い施設は、様々な意味でブローイングの活動拠点となっていく。それまでは、体育館で行ってきた定期演奏会もこ この新しいコンサートホールで行うようになり、練習の拠点もここの練習室へ次第にシフトしていき、そして、こ の諭文の主題であるミーティングの会場についてもここの会議室を利用することが多くなっていった。それまでと 比較して、当然ながら会議場としての環境は格別で、ホワイトボードも傭え付けられ、四角に机が配置されている ので、率直に意見を言い合う円卓会議にも適していた。また、いつも決まった時間と場所でできるので、ファミリ ーレストランを転々としていた頃と異なり、どこでミーティングをやっているのか分からずにあちこちの店を探し 回るようなこともなくなった。実際、他の仲問が暖かい所で食事をしているであろう時に、夜の街を一人で車を走 らせているのは、寂しいを通り越して悲しい笑いがこみあげてきたものである。

X.独立期(the Independence)

 勤労文化会館の会議室は能率的、かつ快適で、理想のオフィス環境をそなえていた。これ以上はもう望むことは ないと思われていた。ところが、第三の転換期が訪れる。いや、転換期という言葉は不適当かもしれない。あくま で、ミーティング場所の中心は勤労文化会館の会議室で、ブラスアルファとしての変化だったからである。プラ スァルファとは、ある団員がご両親から空き家の管理を任され、ご厚意によりその家でブローイングのミーティン グをさせていただけるようになったことである。勤労文化会館では閉館時間という時間的制約があったため、ミー テイングの進行状態が中途半端でも切り上げなければならないことが多々あったが、ここはいつでも使わせていた だけるので、時間切れ引き分けがなくなり、無制限一本勝負ができるようになったのである。しかし、そこは お祭り好きの八幡ブローイングオーケストラ。脱線こそが持ち味である。その家のオーナーである団員を初めとし て、みんな大はしゃぎで、大掃除をして、冷蔵庫から、洗濯機、ストーブ、テレビ、コピー機、ガスコンロ、食器、 各種台所用品、果ては電子レンジまでが取り揃えられ、誰も住んでいなかった空き家は、たちまち合宿もできるよ うな環境が整ってしまった。こうして、居心地が良くなりすぎて八幡プローイング家の家族だんらんの場として使 われることが多くなってきた。

Y.結論(Conclusion)及び麗望(the Future)

 こうして八幡ブローイングオーケストラは、逆境をも楽しみながら、現在まで発展してきたのである。このように アマチュアバンド発展こはマイナス要素も楽しみに変化させる強さが必要なことがわかった。しかしながら、ブロー イングの場合、度が過ぎる傾向が見られる、ともすれば‘はめ’をはずしかねない。その点が筆者らの危倶する点で もある。また、今後のブローイングの会議場(上述では空家〉であるが、環境の整傭がますます進み快適な作業環境 が実現されるであろう。そして課題として、本来の会議場としての機能を引き出すための整傭が必要不可欠であろう。 今後の展開を見守っていきたいと考える。

Z.謝辞(Acknowledgement)

 本報を作成するにあたり快く取材に御協カいただいた、八幡ブローイングオーケストラのSark Layahe Coquio氏をはじめ、関係諸氏に感謝いたします。


   *舞朗院次郎・・八幡プローイング大学附属経済研究所人間工学講座助教授。現在の研究テーマは「知的作業の効率と外的諸因子との関係を数学的に表現できる新理諭の展開」である。
  **牌詠酢・・・八幡ブローイング大学附属経済研究所人間工学講座講師。現在の研究テーマは「人間の惰操に訴える音楽的要素の分類」である。

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